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広島高等裁判所松江支部 昭和53年(う)75号 判決 1980年2月04日

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は記録編綴の弁護人君野駿平作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

所論は要するに、赤碕町長・森進(以下単に「進」あるいは「町長」という。)、同町助役・中井勲、成美郵便局長・岸本貞治の三名が本件公職選挙法違反事件に共謀者として関与した濃厚な嫌疑があるのに、その捜査にあたつた八橋警察署は、鳥取県警察本部長の指揮のもとに、右三名について被告人らよりも利益に取り扱う意図で十分な捜査を行わず、右三名を被疑者として取り調べながらこれについて検察官に事件送致の手続さえも履践せずに被告人らの事件だけを送致し、これを受けた検察官もまた右の事情を十分に知りながらこれを承認して、右三名について自ら捜査もせずに被告人らだけを起訴したものであつて、警察、検察段階を通じ被告人と右三名とを社会的地位・身分により差別する意図のもとに捜査権の不平等な行使を行つた結果、被告人に対し相対的不利益処分としての本件公訴提起がなされたのであるから、検察官が行う起訴便宣主義に基づく裁量権の行使以前の段階における不平等取扱いの瑕疵が本件公訴提起に表われており、本件公訴は棄却されるべきであるのに、本件公訴が公訴権の濫用にあたらないとしてこれを棄却しなかつた原判決には、捜査手続上の事実を誤認し、その法的解釈判断を誤つた結果憲法一四条に違反した違法がある、というのである。

そこで検討するに、本件公訴事実の要旨は別紙のとおりであるところ、原審及び当審において取り調べた証拠を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)1  被告人は、昭和五一年二月初め頃(以下「昭和五一年」を省略して記載する。)進の娘婿である岸本から、「今晩町長が来るから来てくれ。」との連絡を受け、友人の福本頼人(以下単に「頼人」という。)を誘つて岸本方へ赴いたところ、酒肴を供されて話し合ううちに進から、「今度の町長選挙に立候補することにした。あなた方も若い者で推せんしてほしい。」旨を依頼され、頼人と相談して進を応援することを承諾した。

2  被告人は、同月中旬頃頼人から「町長が今日来てくれと言つているので、出て来てくれ。」との連絡を受け、同じく友人である小谷僚一を誘い三名で進方へ赴いたところ、酒を出されたうえ進から、「応援をよろしく頼む。」との話があつた後、頼人から「お前は元気を出しや、なんぼでも仕事がもらえるぞ。」と言われ、更に進からも「自分を応援してくれた者には仕事をやる。」と言われた。そして、三名は辞去する際に進の妻良子からダンヒルの煙草を一箱ずつもらつた。

3  被告人は、同月下旬頃岸本から「町長が様子を聞きたいと言つているので来てもらえないか。」との連絡を受け、一人で岸本方へ赴いてすでに待つていた進、その息子潔及び岸本と会い、進から「早く若い者を盛り上げてくれないか。」などと依頼され、一時間位飲食して帰ろうとしたところ、玄関で潔から現金三万円入りの封筒を渡された。

4  被告人は、三月初め頃町役場へ行つた際、進から請負価格が一〇万円位の出上共同牛舎進入道路舗装工事の仕事を与えられた。

5  被告人、頼人及び小谷が主体となつて町の青年層を十数名集め、同月一三日午後九時頃に料理店兼旅館神戸亭で森進青年部後援会発足準備会が開かれた(開会予定は午後八時であつたが、出席者の集まりが悪く開会が遅れた。)が、席には当初から料理が並べられており、頼人は出席した者から会費を一切徴収していないのに、予め用意した金額二〇〇〇円の領収書を出席者に配り、被告人の「町長さんの青年部後援会を作りたいと思いますが、町長さんと意見を交換して後援会作りに参加してもらいたいと思いますので、よろしく頼みます。」との挨拶、次いで中井の「町長さんを推せんしてもらいありがとうございます。酒林さんはずぶの素人だけ、町政はまかされん。」との挨拶、さらに進の「後援会を作つてもらうことになりありがとうございます。これからは一生懸命町政をやる考えですので、よろしく頼みます。」との挨拶の後、被告人の音頭で乾杯して宴会となり、進や中井は、参会者に酒を注いで回りながら、「よろしく頼む。」旨の挨拶をしていた。なお、宴会の席で四月八日に青年部後援会の結成大会を行うことが決定された。

6  三月二〇日頃被告人及び頼人は、進方で同人と四月八日に開かれる右結成大会の打ち合わせをしたが、被告人らが帰る際、良子が玄関まで送りに出て、「いろいろお世話になります。これはほんの気持ちです。」と言つてカツターシヤツ一着宛を渡し、小谷の分として一着を被告人に託し、被告人は数日後にこれを小谷に手渡した。

7  被告人は、進に対立する立候補予定者酒林有造の話を聞いて共鳴するところがあり、同人のために応援活動を行う決意を固め、四月初め頃その旨を岸本や頼人に伝え、進の応援から手を引いた。

(二)被告人は、選挙がすんで一か月位経過した九月二四日に八橋署に自首して、右に認定したような事実を自供し、カツターシヤツ一着(原庁昭和五二年押第一号の1)及び封筒入り現金一万円(同号の二)を任意提出したが、更に司法警察員から同月二五日、同月二八日、一〇月五日、同月八日に取り調べられ、右の供述のほか次のような供述をした。

1  自首した動機については、九月二八日に「選挙後町長が町職員の前で、『自分に反対していた者には行政的圧力を加えていく。』と話した事実があること、町長は今回の選挙まで二期八年間その職にあつたが、各種の問題について積極的に取り組んで来なかつたこと、知人の陳情はすぐ取りあげるのに自分の陳情はなかなか取りあげず、偏頗な町政をするのに我慢ができなくなつたことなどの理由から、町長に話しても態度を改めようとしないので反省してもらう意味で自首した。」旨を述べた。

2  本件公訴事実に関しては、(1)公訴事実第一の事実について、「玄関へ送つて出たのは潔と岸本であり、潔が背広の内ポケツトから白い封筒を出し、『ひとつこれを。』と言つて渡そうとしたので、『そんなものがほしくてでない。』と断わると、岸本がそれを取つて、『そんなことを言わずに油代や足代にしてくれ。また出すから。』と押しつけるようにしたので、『一応預つておきます。』と言つて受け取つた。」旨を、(2)同第二の事実について、同月二五日及び一〇月八日に「町長から『準備会の日時と集まる人数を知らせてくれ。』との連絡があつたので、日時、人数を知らせ、会場は町長に決めてもらうことにしたところ、頼人から『会場は神戸亭に決まつた。』旨の連絡を受けたが、会場には豪華な料理が並べてあつたので、この費用はどこから出るのだろうかとびつくりした。」旨、あるいは「町長が御馳走して接待されたと思う。」旨をそれぞれ供述した。

(三)次に八橋署における他の関係者に対する取調状況について検討する。

1 小谷は、九月二四日に被告人から「警察へ出ることにしたので、頼人にも連絡してくれ。」との連絡を受け、翌二五日自らカツターシヤツ一着を持参して八橋署に出頭し、(一)に認定した事実のうち自らが関与した事実について率直に自供し、その後同月二七日、同月三〇日、一〇月五日、同月八日にも取り調べを受け、「町長自身が『自分を応援してくれる者と応援してくれない者とは、仕事の面ではつきり区別する。』と言つているのを聞いていやになり、神戸亭での会合以後町長の応援から手を引き、中立的立場に身を置いてどちらの応援にも参加しなかつた。」旨を述べているものであるが、

(1)  九月二五日の取り調べでは、「被告人が自首したことを知り、同日早朝頼人に会つて、『被告人が出る所へ出たけえ、俺やお前も警察に出なあいけんぞ。一緒に行こうや。』と言うと、頼人は顔色を変え、直ぐ町長に電話して、『被告人が警察に出たということだ。』と話し、自分に受話器を渡すので出ると、町長が『カツターシヤツの件は絶対に言わんようにしてごせ。君と頼人が知らんと言えばそれまでだけえ。とことん知らんと言つて通してくれ。』と頼んだ。」旨及び「家に帰ると妻から、『良子から電話してくれとの電話があつた。』と言われ、良子に電話すると同人から、『警察に聞かれたら、カツターシヤツはもらつとらんと言い通し、もしとことん追及された場合は、もらつたがすぐ返したと言つてくれ。同じ物を用意しておくから。今皆に手を打つた。』と頼まれた。」旨を述べ、

(2)  同月三〇日には、「二五日に警察から帰つて良子に電話し、頼人に替わつてもらつたところ、同人が『カツターシヤツのことをしやべつたか。』と聞くので、話した旨を答えると、町長が『あのことを言つてしまつたか。神戸亭のことは言つたか。』と聞くので、それも話した旨答えると、「困つたことになつたなあ。』と言つており、その後頼人と電話で話した際同人は、『まだ選挙のセの字も出ていない頃のことなので、カツターシヤツは親戚付合でもらつたことにする以外に手はない。神戸亭の件は皆が元気を出そうということで集まつたので悪いことはない。』と話していた。」旨供述し、電話での会話の内容を録音したテープを取調官に提出した。

(3)  右録音テープには、同月二五日及び同日か翌二六日になされた電話による会話の内容が録音されているところ、(イ)右のうち前者は、同月二五日の八橋署における取り調べを終えた小谷が、進方へ電話して同人及び同人方に居た頼人に取調状況の報告をしたものであるが、その中で進は小谷に対し、カツターシヤツの件について、何月頃もらつたと聞かれたか、誰からもらつたと話したか、現品を警察に提出したかなどについて質問してこれらを確かめたほか、神戸亭の件について、どのように話したかを尋ねたのち、「あれは会費を取つたようにしただけどなあ。」と話しており、(ロ)後者は、小谷が進方へ電話して頼人に替わつてもらつたところ、同人が小谷に対し、「カツターシヤツの件は、進方と親戚付合していたので、歳暮のように選挙とは無関係にもらつたことにすれば、まだ選挙のセの字も出ない頃のことなので心配ない。町長の奥さんにもそのように言つておくので、そのように合わせてしまおう。神戸亭の件は、領収書があつたからなあ。」と話したことを内容とするものである。

2 頼人は、九月三〇日、一〇月一日、同月六日、同月二八日、一一月一五日に取り調べを受け、(一)に認定した事実のうち同人に関する事実については自白したが、神戸亭の件に関しては、

(1)  九月三〇日には「先程私が料理を注文し、この費用も私が払つたと言つたが嘘である。町長に頼まれて、今話したように言つといてくれと言われていたので嘘を言つたが、実際には私が神戸亭に行つた時には、すでに膳なども用意してあつた。誰が注文したか知らない。」旨を述べ、

(2)  一〇月一日には「三月中旬頃の町長との話し合いで、準備会の場所は町長が探して後日頼人らに連絡することとなり、出席者については被告人、頼人、小谷の三名が集めることとなつていたところ、準備会の場所が神戸亭に決まつたとの連絡は潔から受けたので、その際『集まる人数は三〇人前後だ。』と話しておいた。当日午後八時一〇分前頃会場へ行つたら町長と助役がテレビを見ていて、町長から領収書用紙を一冊渡され、『来た者に二〇〇〇円の領収書を書いて渡してやつてくれ。』と頼まれたので、『二千円也。福本頼人』と空欄に書き、宛名も書いて現金を受け取つてはいないが、出席者に領収書を渡した。」旨を述べ、

(3)  同月六日には、同月一日の右供述は勘違いであるとしたうえ、「自分が会場へ行つたところ中井は来ていたが町長はまだ来ていなかつたので、打ち合わせなどもあり町長方へ行つた。その時町長と潔とがおり、潔から応接間に通されて、『今日はよう顔を出させてもらわんが、出席者に二〇〇〇円の領収書を切つて渡してやつてくれ。金はもらわないようにしてくれ。』と言われて、領収書綴一冊を受け取つた。」と供述を変え、さらに九月三〇日の前記供述についても、「町長に頼まれて、自分が料理の注文をしその代金を支払つたと嘘の供述をしたと述べたのは、話のつじつまを合わせるために口から出まかせを言つたもので、真実は警察から呼出しを受けた際、潔と打ち合わせをして頼まれたので、自分が右のことをした旨嘘の話をした。」と供述を変え、

(4)  一〇月二八日には「今までの供述のうち、潔から領収書綴をもらつた時町長もいたように話したのは思い違いで、町長がいたかどうかはつきり覚えていない。」と供述を変え、

(5)  一一月一五日には、潔と神戸亭の会合について打ち合わせをしたという状況等について詳しく述べ、「三月一三日午後七時半頃神戸亭に行つてみるとまだ誰も来ていなかつたので、潔との打ち合わせどおり町長方へ行つて潔から領収書用紙をもらつた。」と述べている。

(6)  なお、頼人に対し、小谷が供述しあるいは録音されているような証拠隠滅工作についての尋問がなされた形跡はない。

3  潔に対する取調状況は次のとおりであるが、九月三〇日から一〇月二日までの供述内容について供述調書は作成されていない。

(1)  九月三〇日には潔が「被疑事実は被告人のデツチあげで自分には全く覚えがないことだ。」と弁明したので、八橋署は帰宅した後よく考えて出頭するように指示した。

(2)  一〇月一日には、午前中に「神戸亭の件は自分が頼人らと相談してやつたことで、料理等の注文や飲食代の支払は自分が行つた。代金は四万一〇〇〇円で会合の翌日に自分が支払つた。」と述べていたが、午後になつて右供述を徹回し、再び頑強に否認するに至つた。

(3)  同月二日には「今日は話をする考えで出頭しました。」と述べて、神戸亭の件を自白したが、岸本方での被告人に対する買収行為については否認を続け、「岸本方へ行つたことはあるが、買収金を渡していない。逮捕して下さい。なんとかなかつたことにしてもらえないか。」と述べていた。

(4)  同月三日には「今日は決心して全部話します。」と述べたうえで、神戸亭の件及び岸本方での件を自白したので、取調官が供述調書の作成にかかつたところ、途中で「母に会わせてもらえんか。」と申し出た。そこで、取調官は潔を別途取調中の良子と約三〇分間立会人なしで面会させ、その後引き続き取り調べたが、潔が重要な事項になると深く考えこんで下を向いてしまい、再び「母に会いたい。」と申し出たので前同様良子に二、三分間会わせた後、取り調べを再開した。このようにして、概略「二月下旬頃岸本方で被告人に会つた際、被告人になんとか父のために働いてもらいたいと思い、動いてもらうことになればガソリン代とか電話賃もいるので、いくらかでも前もつて金を渡しておかねばいけないとの気持で、玄関まで自分一人で送りに出て、かねて用意していた封筒に入れた現金三万円を渡した。また神戸亭での準備会の開催については、被告人や小谷、頼人らが中心になつて段取りをしてくれたが、開催場所を神戸亭にすることは自分の考えで決め、料理も自分が注文し、会費は徴収しないが領収書を出しておかねばいけないと考え、頼人に一任した。神戸亭の飲食については、私が後で代金の清算に行くことに」というくだりまでの供述録取が進んだ段階で、潔は取調室から小走りに飛び出してしまつた。これを追つて行つた警察官が、自動車に乗つて走り出そうとした潔から自動車のキーを取り上げたところ、同人はその場に居た岸本に話をして庁外に走り出た。岸本から「死ぬると言つています。早くつかまえて助けてやつて下さい。」と言われた警察官が潔を追跡し、鉄道の線路上に俯伏せになり両手で線路をつかんで「死にたい。死ぬる。」などと口走つていた同人を八橋署まで連れ帰つたが、同人はひどく興奮して「家には帰りたくない。疲れた。」などと言い、そのうちに寝入つてしまつた。その後岸本の連絡で進ら親族が迎えに来たが、潔は「家には帰りたくない。」と言つており、結局良子の実家へ帰ることになつた。

(5)  潔は右同日小谷医院で「うつゆう病」と診断されたが、同医院には同月五日に他の者に薬を取りに行かせただけで、同月六日精神病院である倉吉病院で診察を受けた。

一方、八橋署では同月六日小谷医院に照会して、「病状については一〇月三日に診ただけであるので、どんな状態かわからない。」旨の回答を得、翌七日倉吉病院に照会して、「症状は比較的軽く少し落ちついているが、事件があつた為疲れてゆううつ状態になつたものと思われる。入院させるとシヨツクで重症となる可能性もあり、自宅療養で通院してもらうように言つている。完全に回復すれば引き続き事情聴取されても再発のおそれはないが、完治しない間に再び取り調べをすると、その事を考え症状が重くなるおそれがある。」との回答を得、そのままにしていたところ、同月二七日潔が「医者にも了解を得ているし、自分としても早く取り調べを終らせたいので早く調べてほしい。」と述べて出頭し、「心因反応 右疾患にて加療中であるが、現在ほぼ病前に復したと思われるので、短時間の尋問には応じられると思われる。」旨記載された診断書を提出した。そこで八橋署は、翌日から取り調べを再開することにして、潔に対し同月二八日に来署するように伝えた。

(6)  潔は、同月二八日には「神戸亭の件では、自分が二、三日前に神戸亭に出向いて注文し、また、頼人と話し合つて領収書を出した方がよいとの結論になり、当日の一時間位前に同人に領収書用紙を渡し、自分は会合に出席しなかつた。料金の支払は翌日の午前中に自分がすませた。」旨及び一一月一四日には「神戸亭の件については被告人や小谷とは話し合つておらず、頼人と打ち合わせて準備を進め、頼人に一任した。今回の選挙で金を渡したりもてなしたりしたことは、自分の一存でしたことで費用も自分が出した。」旨をそれぞれ供述するほか、一〇月三日と同旨の供述をした。しかし右供述はいずれも概要のみの供述にとどまり、岸本方での件については犯意を否認する趣旨であつたので、取調官は更に突つ込んだ尋問をしたが、潔が目を充血させ、体を震わせるなどの状態を示したので、これ以上尋問を続けると精神に異常を来すおそれがあると判断して尋問を打ち切つた。

4  良子は、

(1)  九月二九日には「二月末頃に頼人と被告人が来て進に野球場整備のことについて要請していた。両名が帰る際自分は『ハワイ土産です。』と言つて煙草三箱とカツターシヤツ三着を渡した。被告人と会つたのはこの時の一回だけである。煙草だけでは粗末だと思つてシヤツも渡したが、その頃はまだ進が立候補するとは聞いておらず、選挙とは何の関係もない。」旨を、翌三〇日には「小谷が警察へ出ると聞き、電話で同人に『頑張つて下さい。花本さん(東伯町出身の県会議員)に手を回して早く帰れるように手配するから。』と言つたが、頑張つて下さいと言つたことの意味は今はわからない。右のような話をするに至るまでのことを言うと、選挙につながるのでそのことは言えない。」旨を、更に一〇月一日には「私の本心は変わらないから調書を作つて下さい。この事がとうらなければ裁判で解決します。家族や弁護士と相談しても私の決心は変わりません。」との趣旨を述べ、

(2)  一〇月三日には一転して、「弁護士とも相談した結果、相手もあることだからある程度話さなければ解決しないので話します。」と前置きしたうえで、「進が今度の選挙に立候補することは、三月中旬頃にはほぼ決めていたところ、その頃被告人と頼人が来て、進と応接室で話していた。その際自分は、「ハワイ土産です。』と言つて外国煙草三箱を被告人らに渡し、その後被告人らが帰る際、『一寸待つて下さい。』と声をかけて応接室の向い側にある居間に入り、買つておいたシヤツや貰い物のシヤツの中から箱入りのカツターシヤツ三箱を取り出して玄関へ行き、靴をはきかけていた被告人らに、選挙になれば進を応援してもらいたいとの気持で、『お世話になります。』と言つて渡した。進には問題になるまでシヤツを渡したことを話していない。」旨供述するに至つた。

5  岸本は一〇月三日被疑者として取り調べられたが、「被告人が一人で来た際、自分は玄関へ見送りに出ておらず、潔が見送つたが、同人が被告人に封筒を渡したのは見ていない。」と述べた。

6  中井は同月五日と同月七日に被疑者として取り調べを受けたところ、

(1)  同月五日には「神戸亭で会合当日午後六時すぎ頃会場へ行き、町長に電話して来てくれるように伝え、間もなく来た町長と二人でテレビを見ていると午後八時前頃頼人が来たので、三人でテレビを見ていたら、間もなく若い者が集まり出した。町長が頼人に領収書を渡したことは覚えがない。最初この会合は町政に関する話をする会だろうと思つていたが、テレビの部屋で待つ間に皆の話を聞いて、町長のため八月の町長選挙には力を合わせて応援しようという趣旨の会であることがわかつた。町長は『今晩は私の為に集まつてもらつてありがとう。私も今後引き続き町長として町政を頑張つて行きたい。その為に若い者達の力で応援していただくよう、よろしくお願いします。』と挨拶し、自分も『私も町長の女房役として町政に頑張つて行きたい。その為にも、町長はもう一期出馬したいと言つているので、皆さんの力で応援していただくよう、よろしくお願いします。』と挨拶した。私はこの会に出席してからは、頼む側に立つて挨拶もし、また雑談とか宴会での話で、皆に対して町長をよろしく頼む話もしている。料理についても、誰が注文してどのように頼んだかということは知らないが、私としては主催者が集まつてもらつた人の労をねぎらう意味と森町長をよろしく頼む意味で出されたと思う。」と供述し、

(2)  同月七日にも「前回『町長はもう一期出馬したいと言つている。』旨挨拶したと話したのは表現の間違いで、『今迄と変わらず皆さんの若い力で森をひきたててやつていただきたい。』と挨拶した。」旨供述を変えたほかは、ほぼ従前どおりの供述を維持した。

7  進は一一月二日になつて初めて被疑者として取り調べを受け、「立候補の決意をしたのは五月末である。」旨を述べ、翌三日には「二月初め頃から被告人らに何回か会つたが、それは被告人らから『総合グランドは野球をするのに狭いので何とか拡張してほしい。』との陳情を受けていたので、主としてその件について話すためであり、後援会結成の依頼など全くしていない。神戸亭での会合も、中井を通じて『これから野球の若い連中が集まる。特に野球のことでグラウンドの話や町政全般について話が聞きたいので来てもらえないか。』との依頼を受けて出席したもので、席上予算全般の話やグラウンド拡張の話などをし、『これからの町政は、どうしても若い人達の力と協力がなくてはやつて行けないので、よろしくお願いする。』と協力依頼をしたにすぎない。舗装工事の件に自分は関係しておらず、課長がその権限で被告人にやらせたものと思う。」旨供述した。

8 八橋署では、(1)すでに二月一二日には進自身から「次期町長選挙には出馬するつもりである。」旨を聴取しており、(2)九月二九日には三着のカツターシヤツの包装紙と同じ包装紙を使用している宇田川呉服店で関係者の事情聴取を行つたが、はかばかしい結果を得られず、(3)一〇月一日には神戸亭の経営者福田勉から、「三月一二日頃潔から『一三日に会合を開きたいので三〇人分位簡単に鉢盛り程度で料理してもらえないか。』との注文を受け、同月一四日の午前中に同人から現金で四万一〇〇〇円を受けとつたが、公給領収書は発行せず、普通の領収書を同人に渡した。」との供述を得、(4)一〇月一日及び同月二日に、神戸亭の会合に被告人らに誘われて出席した石賀昭一、前田秀正、坂本俊光、永田和憲、円山昭憲の五名を被疑者として取り調べたところ、予め会合の趣旨を知つていた者も知らなかつた者も、一名を除いて、会合の席上で進及び中井らから(一)5に認定したような内容の挨拶がなされた旨を供述し、また、進を次の選挙で応援しようとの趣旨で料理が出されたことを認めたのでその旨の供述調書を作成し、(5)同月五日には赤碕町の農林課長光月源一から「出上共同牛舎進入道路舗装工事事業は、自分が被告人にさせることを進言して町長の了承を得て決定したが、仕事に忙殺されて被告人にその旨を伝えないでいたところ、三月中旬頃被告人が『仕事をやらしてもらうけ。』と言つて来たので、その日に同人を現場に案内して仕事の説明をした。」との供述を得た。

(四)1  八橋署は、以上のような資料のもとに県警察本部と相談のうえ、進、中井、岸本の三名については事件を検察官へ送致しないこととし、他の被疑者として取り調べた者についてはすべて事件を検察官へ送致した。

2  送致を受けた事件を担当した検察官は、右三名について事件送致がないのを不審に思つたが、八橋署に電話して送致しないことを確認しただけで、一一月二六日から一二月八日までの間に(前田秀正の検察官に対する供述調書の日付が「昭和五一年一一月一日」となつているのは、「昭和五一年一二月一日」の誤記であると認める。)、被疑者として送致された者全員並びに参考人として進及び福田勉を取り調べたうえ、被告人以外には、潔を公訴事実第一及び第二の事実に関する供与者、饗応者として、頼人を同第二の事実に関する饗応者及び同第三の事実に関する受供与者として、良子を同第三及び第四の事実に関する供与者として、小谷を同第四の事実に関する受供与者として、その他の五名を同第二の事実に関する受饗応者として、いずれも略式命令請求した。

3  なお、検察官の取り調べはいわゆる上塗り捜査程度の簡単なもので、進が「立候補の決意をしたのは一月初め頃である。」旨供述を改めたほか、大部分の者が警察段階における最終の供述と同旨の供述をした。

(五)本件に関し身柄を拘束されて取り調べを受けた者はいない。

以上の事実を認めることができる。もとより、当裁判所は、被告人の罪責の有無を判断する職責を有するに止まるもので、訴追されていない進らに対し、他の関係者らの供述を争う機会を与えないまま、その刑事責任を確定することが許されないことは明らかであつて、その行動に対する評価は慎重にされなければならないけれども、少なくとも本件記録に表われた限りにおいては、次のようにいうことができる。すなわち、右の事実関係によれば、岸本は進の娘婿であり、進と被告人らとの会合の仲介、場所の提供、会合への同席などの関与をしている者であるが、公訴事実第二ないし第四の事実についてはもとより、同第一の事実についても供与者ないし饗応者と共謀関係にあつたことの嫌疑が十分であるとまでは未だ言うことができない。しかし、中井については公訴事実第二の事実について受饗応者にあたることの嫌疑は極めて濃厚であるし、進についても、その供述するところは他の証拠に照らして全く措信することができず、(請負工事に関する進の供述を裏づけるかの如き証拠として光月源一の供述があるが、同人の供述内容は前記のとおり、同人が被告人に決定を知らせなかつたのに被告人が「仕事をやらせてもらうけ。」と言つて来たというのであつて、かえつて被告人らが供述するとおり進が被告人に仕事を与える旨を伝えたことを裏づける結果となつている。)、良子及び潔との身分関係、被告人らとの度々の会合での発言内容、神戸亭での挨拶の内容等に徴すると、公訴事実第一ないし第四の事実に関し、供与者又は饗応者と共謀関係にあつたことの嫌疑は極めて強いと言うべきである。

そして、九月三〇日までの取り調べで進、その家族及び頼人の間で証拠隠滅工作が行われている疑いが強度のものとなり、これを裏づける録音テープが存在しこれを領置しているにも拘らず、八橋署では関係者の逮捕等これを防止するための適切な措置を何ら講じていないばかりか、潔が九月三〇日から一〇月二日にかけて被疑事実の全面否認から一部自白、次いでこれの撤回、さらに一部自白・一部否認というように供述を目まぐるしく変えており、良子も九月二九日から一〇月一日にかけて被疑事実を否認していたのに、一〇月三日になつて両名とも被疑事実を全面的に認める供述を始めるようになつたのであるから、右当日の取り調べはその自白の信用性を見極めるためにも重要な段階であると思われるにも拘らず、その取り調べの途中で潔の要望により二回も立会人なしで右両名を合わせているのであつて、これらは全く理解できない措置であると言うほかない。更に、潔は同月三日の取調中に逃走して奇妙な言動に及び、終には「家へ帰りたくない。」と口走るに至つているので、八橋署としては、遅くともこの段階で前記の証拠隠滅工作を疑い、適切な措置を講ずる必要があつたのに、何らの措置もとらないまま放置し、進に対しては一一月二日に至るまで全く取り調べをせず、ようやく同日及び翌三日の取り調べに応じてなされた進の供述内容は他の証拠関係と全くそぐわないのみならず、同人が立候補を決意した時期についても、同人自身が二月に警察官に話したことと全く異なつているのに、その言い分を聴取するにとどめて十分な追及をした形跡がないのである。神戸亭の件に関する頼人の供述内容が、一〇月六日以降進との関係を否定し、潔の供述に沿うように次々と変更されたこと(領収書綴に関する頼人の供述の変遷は、同人と潔との間に格別の関係があつたと窺うことができない以上、同人が潔をかばつて当初進を陥れる虚偽の供述をしたと考えるよりも、頼人が潔と共に進をかばうための供述に変えたと考えるのが合理的でもある。)、しかも領収書綴を潔から受け取つたとする頼人の供述及びこれに対応する潔の一〇月二八日の供述が、中井の供述に照らして全く信を措けないことにかんがみれば、八橋署が前記のような手ぬるい捜査をしている間に進を圏外に置く方向での証拠隠滅工作が行なわれたことは歴然としており、また、このことは八橋署においても十分予想しえたものと考えられる。このような事情に加え、刑訴法二四六条に違反して、敢えて進及び中井について事件を検察官に送致しなかつたことを併せ考えると、八橋署の前記捜査状況を原判決が説示するように捜査の未熟と評価するのは当を得ず、他に何らの合理的な事情も見出せない本件では、社会的身分の高い進及び中井について、他の者に比してことさら有利に取り扱う意図のもとに偏頗な捜査を行つたものと言わざるを得ない。

また、被告人らの事件について送致を受けた検察官が、一件記録上嫌疑の濃厚な進及び中井に関し、事件の送致がなかつたことに不審の念を抱きながら、八橋署に送致しないことの確認をしただけで、事件送致を促すような措置を全くとらなかつたこと及び進については参考人として事情聴取するにとどめ、予め事情を熟知しないままで神戸亭の会合に出席した者についても起訴しながら、それとほぼ同じ事情にあり、会合の席ではむしろより積極的活動をした中井については事情聴取さえもしないですませていることは、いずれもその妥当性について疑問がないわけではない。しかしながら、前記のとおり進が公訴事実第一ないし第四の事実に関し供与者ないし饗応者と共謀関係にあつたことの嫌疑は極めて強いということができるものの、前認定の事実によれば、右嫌疑を公判で立証するための証拠は、証拠能力との関連ですでに収集された証拠だけでは必ずしも十分でないし、新たに収集しようとしても、前記のとおり証拠隠滅工作がなされており、殊に頼人が潔の供述に合わせるように供述を変更し、検察官の取り調べに対してもこれを固執している状況のもとでは、もはや実際上著しく困難であつたと認めることができる。そうすると、進について事件送致を受けなかつた検察官が、その送致を促さず、あるいは新たに立件もしないで、参考人として事情聴取をするにとどめたことは、安易であるとのそしりを免れないけれども、検察官の意図的な差別の結果であるとはいえず、これを違法視することはできない。一方、中井の容疑事実を被告人のそれと比較した場合、神戸亭における件に限つてみても、会合の準備段階からこれに関与し、会合の席上でも挨拶をしている被告人の方がその刑責は重いということができ、石賀ら五名に対する関係ではともかくとして、他にも容疑事実のある被告人との関係では、中井に対する警察、検察段階における前記措置をもつて不当な差別にあたると断ずることはできない。そして、原判示の被告人の行為を自首を含めた前認定の事情のもとで考えても、その刑責は決して軽いものではなく、被告人に対する本件公訴の提起が酷にすぎるような事情は見受けられない。してみると、本件公訴提起を含めた検察段階の措置に不当な差別、裁量権の逸脱等の違法があると言うことはできない。

そうすると、本件における問題点は、被告人の自首を受けてなされた警察段階での進との関係における差別捜査が、本件公訴提起の効力にどのような影響を及ぼすかという点に尽きることになる。

そもそも憲法一四条が「すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と規定したのは、人格の価値がすべての人間について平等であり、社会的身分等の差異に基づいて、あるいは特権を有し、あるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならないとの大原則を示したものであり、合理的な理由なくして差別されないことが、個人の尊厳に立脚する民主的な社会を確立するための不可欠の要件であるとの考慮によるものと解される。従つて、平等に法を執行すべき捜査機関が一方に対しては厳格に法を執行しながら、社会的身分の高い他方に対してはことさらに著しく寛容な態度に出るようなことは、右の平等原則に違反するものとして許されないことは明らかである。もとより、本件において被告人は、当初進側の選挙運動に従事し、後にその反対派に転じたものであるから、捜査官が、被告人の自首の動機について留意し、ある程度慎重な態度で捜査に臨むこと、あるいは進が町の要職にあることから、同人に対する捜査をすることの社会的な影響を慮つて慎重に行動することなどは何ら非難されるべきことではないが、前認定の事実関係によれば、八橋署においては、右の限度を越え、何ら合理的理由がないのに、社会的身分の高い進を被告人に比して有利に取り扱う意図のもとに差別捜査を行つたものであつて、このような捜査が前記の平等原則に反することは明白である。本件において、進に対する捜査が適正に行われたとしても、被告人が起訴されることを免れなかつたことは明らかであるけれども、憲法一四条の前記の趣旨に照らせば、被告人が他の者より不利益に差別された場合と、本件のように被告人よりも他の者が利益に扱われた場合とでは、被告人が差別された点において選ぶところがなく、右両場合とも差別されたこと自体をもつて被告人が不利益を蒙つたものと言わなければならない。

ところで、(1)捜査手続に違法があつても公訴提起そのものが形式上適法になされておれば、右の違法は公訴提起の効力に何ら影響を及ぼすものではないとの考え、あるいは、(2)罪を犯した者が他に罪を免れている者の存在を理由に平等原則違反を主張することは、いわゆるクリーンハンドの原則に照らして許されないとの考えがあるので、これらについてここで検討する。

まず、右(1)のような見解をとると、捜査手続に如何に著しい違法があり、かつ、これを救済する適当な方途が他になくても、このことを無視して被告人に対し有罪の宣告をするほかないことになる。もとより、捜査手続上の違法行為すべてについて、公訴提起された当該被告人に対する刑事事件の手続内でこれに対する救済を図ろうとすることは、裁判所としての職責を逸脱する場合があることに思いを致す必要がある。しかしながら、「刑罰法令を適正に適用実現し、公の秩序を維持することは、刑事訴訟の重要な任務であり、そのためには事案の真相をできる限り明らかにすることが必要であることはいうまでもないところ、……他面において、事案の真相の究明も、個人の基本的人権の保障を全うしつつ、適正な手続のもとでなされなければならないものであり、……証拠物の押収等の手続に、憲法三五条及びこれを受けた刑訴法二一八条一項等の所期する令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、これを証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては、その証拠能力は否定されるものと解すべきである。」(最高裁昭和五三年九月七日判決刑集三二巻六号一六七二頁)として、捜査手続に違法があつた場合に、単に違法行為をした当該捜査官個人に対する行政上あるいは民事上の責任を問うだけでなく、刑事訴訟手続内において、法律には直接規定されていない救済方法を採りうる場合があることが、最高裁判所によつて示唆されている。また、捜査手続の違法に関してではないが、最高裁判所が「憲法三七条一項の保障する迅速な裁判をうける権利は、憲法の保障する基本的な人権の一つであり、右条項は、単に迅速な裁判を一般的に保障するために必要な立法上および司法行政上の措置をとるべきことを要請するにとどまらず、さらに個々の刑事事件について、現実に右の保障に明らかに反し、審理の著しい遅延の結果、迅速な裁判をうける被告人の権利が寄せられたと認められる異常な事態が生じた場合には、これに対処すべき具体的規定がなくとも、もはや当該被告人に対する手続の続行を許さず、その審理を打ち切るという非常救済手段がとられるべきことをも認めている趣旨の規定であると解する。」(昭和四七年一二月二〇日判決刑集二六巻一〇号六三一頁)と説示しているのは、刑事被告人に関する憲法上の権利保障規定が単にいわゆるプログラム規定にとどまるものではなく、非常救済手段をも認める趣旨の規定であることを明言するものとして、本件の解決にあたつても決して無視することができないところである。このようにみてくると、捜査手続上に憲法の基本的人権の保障規定の趣旨を没却するような重大な違法がある場合には、たとえ公訴提起そのものが形式上適法になされ、かつ、法律にこれに対する直接の救済規定がなくとも、適正手続の保障を貫徹するため刑事訴訟手続内でその救済を図ることは決して裁判所としての職責を逸脱するものではないと言うべきである。してみると、前記(1)の見解は憲法の解釈上採ることができない。

次に、前記(2)の見解についてみるに、一般的に、罪を犯した者が他にも同様に罪を犯した者があり、かつ、その者が訴追を免れていることを理由として平等原則違反を言うことは、捜査機関等に物理的な不能を強いる結果となるし(いわゆる一罰百戒的な効果を期待するため、無作為に一部の者に対して捜査を集中することも捜査機関等の限られた能力の合理的な運用として許されよう。)、別事件間においてその軽重等を比較することも決して容易なことではない(殊に捜査機関が異なる場合にはなおさらのことである。)ことに照らして、原則として許されないと解されるけれども、本件においては、同一事案内における対向関係にある者の間における意図された差別捜査が問題とされているのであつて、右の一般論は直ちには妥当しないし、被告人自身が罪を犯した者であるということも、差別が問題になつている本件では必ずしも重要でないと言うべきである。

そこで当裁判所は、憲法一四条違反の差別捜査に基づいて、差別された一方だけに対して公訴提起した場合にも同法三一条の適正手続条項に違反するものであるから、差別の程度、犯罪の軽重等を総合的に考慮して、これを放置することが憲法の人権保障規定の趣旨に照らして容認し難く、他にこれを救済するための適切な方途がない場合には、憲法三一条の適正手続の保障を貫徹するため、刑訴法三三八条四号を準用ないし類推適用して公訴棄却の判決をするのが相当であると考える。

前記のとおり、平等原則違反は民主的社会の根幹に触れるものであり、しかも本件において有利に取り扱われた進に対する容疑事実は、民主主義社会を運営するための基盤をなす選挙の公正を害することの著しい供与・饗応者としての行為であるのに対し、本件公訴提起にかかる被告人の行為は、同じく選挙の公正を害するもので必ずしも軽微であるとは言えないけれども、これに対応する進の右容疑事実に比すれば、その違法性は軽度であると言うことができる。そうすると、町長という社会的身分のある進を被告人よりも有利に差別した本件捜査の違法性は極めて著しいものと言うべく、本件犯罪の重大さとの比較においても、捜査手続の違法性はより重大であるとみるべきである。そして、このような差別的取扱いを放置することは、憲法一四条、三一条の規定を空文化するものであつて、憲法の精神に照らして容認し難く、しかも、これに対する救済方法として行政上、民事上の救済手段によるだけでは十分でないし、また、これが証拠の収集と直接結びつかない点における違法であるため、違法収集証拠を排斥するという手段に依ることもできない。被告人が罪を犯したのに、その刑責を免れてよいのかという素朴な疑問は、本件の場合、不都合な差別を禁止し、適正手続を保障した憲法の精神に道を譲つて然るべきである。従つて、右のような差別的取扱いから被告人を救済するには、本件公訴を棄却するのが相当である。

そうすると、原裁判所が本件公訴を受理して実体判決をしたのは、不法な公訴の受理に該当すると言わざるを得ず、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三七八条二号により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い当裁判所で更に判決する。

本件公訴の提起は前記の理由で無効であるので、刑訴法三三八条四号を準用ないし類推適用しこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(藤原吉備彦 前川鉄郎 瀬戸正義)

公訴事実の要旨

被告人は、昭和五一年八月二八日施行の鳥取県東伯赤碕町町長選挙に立候補した森進の選挙運動者であるが、

第一 同年二月下旬頃同町大字出上一五四番地岸本貞治方において、森進の選挙運動者である森潔から森進に当選を得しめる目的をもつて、同人のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動を依頼され、その報酬として供与されるものであることの情を知りながら、現金三万円の供与を受け

第二 同年三月一三日頃同町大字赤碕一四三五番地料理店「神戸亭」において、前記森潔及び同じく選挙運動者である福本頼人から、前同趣旨のもとにその報酬としてなされるものであることの情を知りながら、一人当たり四一〇〇円相当の酒食の饗応接待を受け

第三 同月中旬頃同町大字赤碕一四八三番地の一森良子方において、森進の選挙運動者である同人から、前同趣旨のもとにその報酬として供与されるものであることの情を知りながら、箱入りカツターシヤツ一枚(時価二二〇〇円相当)の供与を受け

第四 前記森良子と共謀のうえ、森進に当選を得しめる目的をもつて、いまだ同人の立候補の届出のない同月下旬頃同町大字赤碕七七四番地の一小谷僚一方前において同人に対し、森進のため投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その報酬として箱入りカツターシヤツ一枚(時価二二〇〇円相当)を供与し一面立候補届出前の選挙運動をし

たものである。

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